◆エヴァリアの手記
エヴァリアが200年前一人の町娘だった頃から聖女としてある決意をするまでに綴った日記。
#1
彼と出会ったのは故郷の町が魔物の襲撃に遭った時だった。
突然現れた彼はたった一人で魔物に立ち向かい、
瞬く間に倒してしまった。
皆魔物に脅える日々を過ごしていた私たちにとって
彼はまさに救世主そのものだった。
彼は黒の国王子で、名はアダムといった。
魔物の根源である邪神を倒すため旅をしているという。
私は彼の旅についていく事にした。
助けられた恩もあったが何より、
一人で強大な敵に立ち向かおうとする彼を支えたいと思ったのだ。
#2
私たちは旅の中で邪神への手掛かりを探しながら
魔物を倒し、旅を続けた。
やがてアダムは『勇者』と呼ばれるようになっていた。
彼は強いだけではなく、優しい心を持った人だった。
それ故に誰からも慕われ、頼られた。
全てを救おうというのはあまりに困難だ。
完全無欠のように見えようと彼も一人の人間なのだ。
せめて私だけでも彼の苦しみを理解したい。
しかし彼が弱みを見せることはなく、
その心を理解するのは難しかった。
#3
次第に共に戦う仲間が増え、協力者が増えた。
あまりに完璧な勇者を見ていると
彼一人でも邪神討伐を成し遂げられるだろうとも思えたが
彼には一つ欠点があった。
それは献身的な心を持つあまり
我が身を顧みずに戦ってしまう事だ。
それ故に彼は傷が絶えない。
私は法術が使えた。
彼の傷を癒す時だけは自分も役に立てていると実感が出来た。
――そして長い旅の末、私たちは赤い魔導師に出会う。
神秘的な雰囲気を持ったその人は
邪神に対抗するための力を与え、
邪神に至るための道を示してくれた。
ついに私たちは邪神に挑む事となった。
#4
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#5
邪神を討ち倒し、世界に平穏が訪れた。
勇者アダムの凱旋は盛大に祝われ、
彼の雄姿を象った銅像が建てられた。
世間のお祭り騒ぎはしばらく続き、
仲間たちは故郷へ帰るなりしてばらばらになった。
―そしてアダムは黒の国の王となり、
私も白の国の聖女として祭り上げられていた。
二人の英雄が二つの国をそれぞれ導き、永遠の平和を築く...
それが私たちに期待された事だった。
..しかし私の期待は違っていた。
私はアダムを側で支えたかった。
誰よりも側で――
だが、その頃になると私も理解していた。
彼は支えなど必要としておらず、
私が支えになりたかっただけなのだと。
もし彼を支える事が出来るとすれば
聖女として共にそれぞれの国を導く事なのかもしれない。
私は皆が求めるその役目を全うしようと決意した。
アダムもきっと良い王となって黒の国を立派に治めることだろう。
#6
邪神がいなくなり、魔物が消え、
このままずっと平和が続くと思われた矢先、思わぬ訃報が届いた。
それは「英雄王アダムが暗殺された」という報せ。
信じられなかった。
誰もが勇者と讃えたアダムの死を、誰が望むというのか?
私はただただ喪失感に打ちひしがれた。
民衆は様々な噂を立てたが、真実は分からなかった。
結局暗殺の実行犯とされる者が処刑され、
アダムの父は再び王となった。
しかしそれも長くは続かなかった。
父王もまた、唐突に崩御されたのだ。
それから次の王が決まる間もなく王妃が自ら命を絶ち、
そして妹姫も処刑される。
王家を失ったことで黒の国は混乱し、
玉座を巡って争いが起きるようになる。
次々と起こる不幸に、
人々は邪神の呪いだと恐れるようになっていた。
#7
人々は邪神の呪いを恐れるあまり
生贄を捧げ、魔女と言いがかりをつけては無実の者を処刑し
人同士で争い合った。
どうしてこうなってしまったのだろう?
仲間たちと勝ち取った平穏が、
アダムが導いてくれた平和が失われていく。
白の国では司祭たちが
「聖女こそが呪いを打ち砕く力を持つ神徒である」
と主張するようになった。
そして、
「神にも等しい聖女に祈りを捧げれば呪われることはない」と。
なんて勝手なことを言うのだろう、と最初は驚いた。
私自身に呪いをどうこうする力などないのだから..。
しかし少しでも恐怖する民らの救いになるのならと
私はその主張に乗ることにした。
私が明るい未来を語れば皆希望を持つ。
人々は司祭たちの言う事を信じ私に祈るようになった。
アダムを救う事が出来なかった私には
もう皆の聖女を演じることしかできない。
アダムもきっと平和を願って邪神と戦ったのだから。
私はその願いを叶えるために力を尽くす。
――私を信仰の対象に仕立てた司祭たちは
民の信仰心を利用して思うがままに国を支配した。
#8
祈りの力で呪いを退けんとする白の国と、
武力によって呪いを退けんとする黒の国。
長い年月を経て二国の考えは対立していった。
次第に二国が結託していた時代を知る者がいなくなり
勇者の存在はまるで神話のようになってしまった。
教団の者たちは、
勇者を殺した邪神軍の残党が黒の国を支配し、
黒の国は呪われたのだと言った。
その言葉通りに――もしくはその言葉が呪いとなって
いなくなったはずの魔物が黒の国から現れるようになった。
『黒の国という呪いを払い、世界を救わねばならない』
教団が黒の国への侵攻を決めるのにそう時間はかからなかった。
#9
白の国と黒の国の戦争が起きていた。
白の民たちが私に祈り、導きを求めている。
『聖女様、白の国をどうかお救いください』
私には何も救えないのに。
それに本当に救いたかった人は、人たちは、もうこの世にはいない。
世界で起こることの全てが、
まるで何処か遠くの世界の出来事のように感じられた。
共に邪神討伐の旅に出た仲間たちは
とうに老いてこの世にいなかった。
それなのに私だけが老いることもなく未だ生き長らえている。
私はもう200年も生きていた。
信仰が私に本当の奇跡を与えたのか..
私にとってはこの世に縛り付けられる呪いでしかなかった。
#10
求められる聖女の役をただ淡々と演じながら
最近は記憶から抜けていた邪神の姿を思い出すようになっていた。
血のように赤い歪な鎧と、馬のような四肢、
銀色に輝く髪、そして――アダムと瓜二つのその容貌。
アダムの死の真相は謎のままだ。
しかし、近頃は
『アダム自らその命を絶ったのではないか』と思うのだ。
そしてあの邪神も、アダムから生まれたものなのでは、と。
人々が彼に望んだ破壊なのか、
彼自身による呪いなのかは分からない。
アダムが祈りによって生まれた救世主なら
あの邪神は呪いによって生まれた破壊の神だ。
結局のところ私は彼の事を何も知らなかったのだ。
今となってやっと彼の気持ちが理解できるような気がする。
きっと彼はこの世に絶望していたのだ。
#11
意識してか無意識か、
人々は皆アダムに勇者として完璧な存在でいることを強いた。
もし私が正しく彼を支え、彼の絶望から救う事が出来たなら――
しかしそんな願いが叶う事はない。
この世界は呪われた。
呪われて当然だ。
世界を救った勇者を死に追いやる世界が正しいはずがない。
私利私欲のため信仰を利用する教団の者たち。
それに操られる意思のない人形のような人々。
悪政を敷く残虐な王。
自由を理由に国を荒らす人々。
無意味に争い続ける国と国。
そして何も救えぬお飾りの聖女。
200年も経とうとも何も変わらない。
...こんな世界はもう浄化するほかない。
私は邪神にはならない。
皆に求められた聖女として
この世界を浄化し
祈りも呪いもない、無の世界へと新生させるのだ。
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